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家族 Peace of mind

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Peace of mind

6月の終わり、大切な妹がクモ膜下で倒れました。前触れは一切無し、働き盛り、イヤ生き盛りの50代。母の涙声も自分の声も全て映画でも見ているように実感が分かりませんでした。年取ってきた両親と12歳を迎える相変わらず甘えん坊のダックスの面倒に約1ヶ月家族の元へ。多くの幸運が重なって、低い生存率から生還したばかりでなく、後遺症もゼロと言う感謝しかないリカバリーでした。

人生なんてどこで終わるかわからない。

私とはいろんな面で正反対の妹が、こんな経験をしたからって、守りに入るってのは違うかなと。

めっきり話さなくなって一日中本能の赴くまま過ごす父にはストレスを感じるけど、それも父が自分の平穏な中にいるのならそれでいいのかなと感じた。

もっと自分ファーストで行こうと、古き良き妻の脳と本当は冒険好きの間で揺れる母に話して見たけれど、自分と折り合いをつけるのは結局自分自身な訳で。

この1ヶ月、自分の人生に挑戦された気分でした。で、感じた事は。

心の平安 peace of mind の大切さ。決して何事にもめげない心ではなく、ぶれない自分を持つことかと。柳のように揺れてもいい。自分の心を見つめるpeace of mindが地に脚をつけていられるように生きていきたいと。

hey, happy holidays!

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1人のクリスマス

1988年、パリで初めてのクリスマスを過ごした。それまで日本のクリスマスと言えば、ボーイフレンドや友達と過ごす習慣があったのだけど、ヨーロッパではクリスマスは家族と過ごすもの。

周りの友達はほとんど自国に帰ったり、家族と過ごすため、結局1人っきりのクリスマスとなった。

街中はお祝いモードで、愛する人たちへのプレゼントを競い合うように全てのウインドウが豪華に飾られた。この時ほど日本の家族を恋しいと思ったことはなかった。

それでも憧れのパリで過ごすクリスマスは、私にとってはまるで荘厳に満ちたものを感じた。日本のお正月が重みを感じる日であるように。年末に何か身が引き締まるような思いでイエスキリストの誕生=始まり=新しい年と続く行事のあるこの時期は、いつも何かし忘れたことがあるのではと落ち着かないのは私だけなのかな。

1988年、携帯もインターネットもない時代、パリの公衆電話から日本の両親へメリークリスマスの電話をした。そうそう、貧乏学生の私にとって当時の国際電話は高すぎたので、公衆電話の電話番号を両親に伝え折り返ししてもらってた💦誰も後に並んでいないことを確認して。今では考えられないことだけどね。

そんなこんなで、パリでのその夜は11時ごろ、同じ貧乏学生で国に帰らない友達ひょっこりと”hey, merry christmas”とやってきて2人でテレビを見ながら過ごしたクリスマスだった。

懐かしすぎて涙が出るくらい😂